東京の金融機関で働く新卒のブログ

金融機関に就職した新卒社員。東京都港区在住。

社会貢献をする為に仕事をするという真っ赤なウソを暴いてみた。

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この記事は特に大学から社会人に上がった人に読んでもらいたい。

大学生と社会人とでは根本的に違うところがある。

 

それは「価値を提供してもらう側」から「価値を提供する側」になるということ。

与えられる側から今度は与える側になる。それは人生において生き方の選択肢がグッと増したことになる。

 

価値を提供できるということの捉え方は様々で、よく就活で「私は社会貢献がしたいです。」という人がいるんだろうと思うがそれは真っ赤な嘘だ。

 

「仕事は究極に自己満足でやるもの」だと僕は考えている。

 

「自己満足」とは自分さえ良ければそれでいい。という意味にもとらえられるが、

あながち間違ってはいない。

自分だけではないが、まず自分が優先的に良くならないといけない。

しかし、この意味は中々深いものがあると思っている。

 

なぜなら人生皆どんなに偉大な人であっても「自己満足」で生きているからだ。

 

決して社会貢献などといった正当っぽい理由で自分を殺してはならない。

 

そう、自分を満たせばそれでいいのだ。僕はそういう価値観、世界観を持っている。

 

確かに「世の為人の為」という忠誠心が無ければ社会的成功はできないとは思う。

 

しかし「世の為人の為」とはいっても、絶対に優先順位を間違えてはいけないと自負している。

 

僕は社会の為という公益よりも私利私欲をあえて追いかけるべきだと考えている。

 

もちろんやり方は決して間違えてはならない。

 

僕がそう考える理由を後に述べていく。

 

 

仕事で本当に自分を殺して社会貢献をしたいと思うのか

 

社会人としての仕事の目標といわれると、立派な大人になり社会貢献をしたい。

と考えている人が多いかと思う。

 

ですが、僕はその考えにはどうしてもまだ至らない。

社会貢献を考えられる人が羨ましいとすら思う。

 

なぜならそういった人達はもう社会の事を考える余裕があるからだ。

 

僕はとてもじゃないが自分をまず満たしたい。

自分を満たした後に社会貢献だという考えを持っている。

逆に自分を満たせてなかったら社会なんて満たせない。

それは事実であろう。

 

所持金千円である自分が友人と食事に行ってご飯を奢ることはないだろう。

 

なぜなら人に奢る前に自分の食事をすることが先だからだ。

 

自分がお腹いっぱい食べられる余裕があって初めて友人にもご馳走してあげたいと思うのではないだろうか。

 

自分は食事抜きで友人を叙々苑に連れていくなんてことは絶対にしない。

 

する人もいるかもしれないが僕は絶対にしない。

 

他にも例がある。

一日12時間労働の低賃金でいかにも見せかけだけでも社会貢献になる仕事をしていたとしよう。

社会貢献にはなっているが自分の時間が拘束され一日の大半は激務に追われ、賃金が低いので毎日の生活のやりくりで精一杯。という状態の人がいたとする。

 

さて、この人にとって本当に大事なのは社会貢献なのか。

本当にこの状態で自身が幸せなのか。と私は疑問を抱いてしまう。

まずは時間の拘束を和らげもう少しまとまった収入を得られる仕事を探さないだろうか。

 

自分を殺してまで社会貢献をすることが本当に大事なのかは考えものではないだろうか。

 

結論、「人や社会の為に」ということを本当に考えだすのは、自分を満たしてからである。

 

 

「世の為人の為」にまずは自分の為に仕事をする。

 

僕は最近入社したばかりであり、自分の事を考えるので精一杯であるというのが現状で。

もちろんずっとそのままではいけない。

そして結論から言うと、「世の為人の為」に仕事をするにはまず自分の為に仕事をしないといけないということなのだ。

 

自分の成長の為、自分が成し得たいものの実現の為だ。

 

自分を満たさないといけない理由は3つある。

 

1.自分をも満たせない人はそもそも社会貢献なんてできない。

 

自分を満たせないという人に社会貢献なんてできるはずがない。

冒頭でも述べたように自分にお金がないのに他人にご飯を奢る話ではないが、

自分が満足できてないのに人を満足させてあげることがはたしてできるのか?という話である。

だからまずは「自己満足」が大事なのだと考えるのである。

 

2.自分の為にやっていることが結果的に人の為になる。

 

そして自分の為にやっていることが結果的に社会の為になるとも考える。

それであればなにも正当な社会的主張はなくてもいいのではないだろうか。

 

例えば私利私欲の塊で投資を始めた人がいるとする。

 

初めは自分がお金を儲けたいという理由だけであったとしても、それが儲かり多くの資金を持つこととなれば、人や企業にたくさん出資ができるようになる。

 

そうなると最終的にその「自分の為」止まりであった投資は「人の為」になっていることになる。

 

こういうケースは世の中でたくさん起きていることだろう。

 

自分の欲望と向き合うことはやはり大事なのだ。

結果的に社会貢献になるからだ。

 

逆に、

・人や社会の為にやっていることが自分の為になる。

・社会貢献を考えて仕事をした結果が自分の利益につながる。

というのも事実。

 

しかしそれらも結局は自分の為にしていることではないだろうか。

それは究極の社会貢献ではないと思っている。

 

だからいかなる場合であっても必ず自己を優先しなければならないということだ。

 

3.自分を満たしきれば次に人や社会を満たしたくなる。

 

自己を満たした後に自分がどういう状態になるのか。

自分はもういいから今度は人や社会を満たしたいというマインドになってくるのであろう。

 

だから自分を満たしてはじめて人や社会を満たしたいという欲望、欲求が生まれるのだと考える。

よって、人や社会を満たすためには必ず自分が満たされていないといけないということになる。

 

逆にいくら社会貢献の欲望だけが強くても、自分の欲望をすでに叶えている人には絶対に勝てない。

 

・たまに募金活動に参加したり町の清掃活動をしたりするパートの人。

・自分の欲望を叶え成功したアップルのスティーブジョブズ

 

だったらどっちの方が社会貢献度が高いだろうか。

もちろん後者のスティーブジョブズ

iPhoneという革命的デバイスを残してくれた。

そう最高の社会貢献をしてくれたのだ。

 

この二者の違いはたった一つしかないと思っている。

 

自分を本当に満たせているか満たせていないかの違いだ。

 

 

 

マズローの五段階欲求説で見る社会貢献。

 

では社会貢献とは自分にとって何なのか。何のためにそれを考えるのか。

先程も述べた「自己欲求を満たした後に人や社会を満たす」ということについて、

これから「マズローの五段階欲求説」を使って詳しく説明する。

マズローの欲求5段階説

引用元:http://www.motivation-up.com/motivation/maslow.html

 

世の為人の為に仕事をするということは、この「マズローの5段階欲求」で言うところの5段を全て満たしてからではないだろうか。

 

第一段「生理的欲求

 

これは生きていく為の本能的欲求である。

食べたいとか寝たいということである。

毎日食事抜でさらに徹夜で社会の事を考えている人はごく少数であるだろう。

基本的に最低限の食事と睡眠は担保されていないと何も手をつけられないはずだ。

 

第二段「安全欲求

 

安全欲求とは危機を回避し、安全で安心な生活をしたいという欲求である。

 

現実的に言うと、住む家がある。生活できる収入があること。そして健康面もそうだ。

 

言ってしまえば最低限生活できるための収入だ。このセーフティネットであるベーシックインカムは必ず必要になる。

 

これが無い人は何よりも先にベーシックインカムを作る必要がある。

 

自分が生活に困っている時に他人の事を考えている暇はもちろんない。

自分の住む家が無いのに他人に不動産を売ったりする不動産の営業マンはいない。

 

第三段「社会的欲求

 

その後に生まれるのが社会的欲求だ。

他者に受け入れられ、社会に受け入れられたいという欲求だ。

社会に受け入れられたいということであったり、仲間が欲しいということである。

 

第四段「承認欲求

 

自分が価値のある存在と認められ、地位や名声、利権などの欲求である。

いい会社で役職について地位を得る

起業して社長になり利権を得る。

高級車や高級住宅を手に入れ周りからの自分の存在価値を高めたい。

などである。

 

三段も四段も同じように思えるが要は周りから認められたいということである。

 

一見これらの欲求が世の為人の為のように見えるが、これらの欲求は認められたい。受け入れられたい。といった欲求なので、完全に自己満足であると言えるだろう。

 

第5段「自己実現欲求

 

これらの欲求が全て満たされた時に自分の実現したいことを具現化したいと考えだす。

自分のなりたいものになる、やりたいことをやるという欲求だ。

自分の人生であるから、自分のやりたいことをやるのは当たり前だ。

私も当然ここのゴールを目指している。

 

 

そしてこれらを全て満たしたあとに生まれるのは「社会に貢献したい」という六段目の欲求が生まれるのではないだろうか 

 

人から与えられる幸福より人に与える幸福のほうがより幸福度が高いのではないかと考える。

だから社会貢献を皆やっているのだと考える。

結論どれも自己満足であることに変わりはないのだ。

違うのは自己満足の質である。

真の世の為人の為になることをするということはその行為自体が自分の欲求となることである。

 

だから世の為人の為になることをした結果が自分の利益や目標の達成につながる。という考えではまだまだだと思っている。

 

「自分のことはもういい。後は社会に貢献したい。」

これこそが真の社会貢献であり自分の社会に尽くしたいという欲求なのだ。

 

世の為人の為を考える為にまずは自分の為に一生懸命に働き、その後世の為人の為になることをするという「究極の自己満足」を達成したいと思っている。

 

究極の自己満足の為に今後するべきこと。

 

では世の為人の為になることをするという究極の自己満足の為に今何ができるのか。

当然今現段階ではまだまだ自分を満たしきれていない。

 

だから今やるべきことは自身の欲望を果たすこと。

まずはそこからだと考える。

 

人生皆自分の為に生きている。人の為に生きているという人はいるようで実はいないだろう。

 

もちろん僕は家族の為にも生きている。今まで本当にお世話にもなった。

しかしそれは自分の為でもある。

 

人の為に生きるといってもそれも自分の為。

 

他人は気になるようで実は気になっていない。

 

なぜなら斎藤一人さんの言葉を借りると、アフリカで百万人が餓死しようが自分の虫歯の方が気になるからだ。

 

だから僕はまず自身の成し遂げたいこと、そして自身の生活の為にフォーカスをあてて全力投球するべきだと考える。

 

そのほうが早いと考えるからだ。

 

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